宗像・知る人ぞ知る神社に冒険!! ⑤~シリーズ完結!!宗像に隠されてる神さまたちを、八所宮周辺からも発見?!の、巻~
またしても更新に間があいてまいました~~(T▽T)
毎日更新されている方は、本当にすごい!!気付けば6月も5日目…
カビが生える前に更新せねば…!!
なんだかんだでなんと、『八所宮(はっしょぐう)』シリーズが、
うっかり⑤に突入してしまいました。いよいよ完結編です(笑)!!
2回目の八所宮参拝の道中、のんきに自転車こいで進んでたら、
『もっと中の道を走らんか~!!』と、いきなり自動車のおじさんに怒鳴られる…
『ヒィ~~なんでじゃ~~普通に道の端っこでこいでるのに…(TДT)』と思いつつも、
仕方ないので道を曲がって住宅側の道に入ったところ…
『今井神社』という、お宮を発見…!!
なんと鳥居入ってすぐ目の前、お社の正面にドーンと、大木が…!!(@Д@)
えーッ?!!こんなのアリなのか?!と思いつつ、こちらは後で参拝しようと思って、
八所宮を目指しました。しかし気になる、今井神社…今井…誰の事じゃろ…??
人の名前のようだし、昔の武将とか、お金持ちとかの氏神さまかな…???
と、思って八所宮に到着。本殿にお参りして、ぐるっと時計回りに裏の摂社も
お参り…あ!!ここは…!!!?
今井神社の小さいバージョンではないですかい…!!!
須賀神社といっしょにお祀りされてて、かつ今井祇園社、となってるから、
そーか、今井神社とは祭神がスサノオノミコトさまなのだね、と思いました。
…その時は。
八所宮2回目のお参り探検がすんで、再び先ほど自転車で通りかかった
今井神社に向かいました。
素朴な木製の鳥居です。でもキリッとして美しいですねぃ。
、
お社もいたって素朴。そんなに古いというわけではなさそう。
祭神は本当にスサノオさまなのかな?と、境内のあちこちを探してみましたが、
手がかりは見つからず。
帰っていろいろ調べても、各地の今井神社はほとんどその土地の名前が由来だったり、
今井=新しい井戸、水場、などの、水の近くの場所由来だったり。
唯一どこかの今井神社が『祭神:大山咋(おおやまくい)さま=日吉神社の神さま』、
とありました。大山咋さまといえば、酒の神:松尾大社の祭神、松尾さまでもあり、
私が調べた説では、
大国主さまの義理のお子さんです。
でも、八所宮では今井祇園社として小さな摂社が須賀神社ともに祀られてる…
調べたら、やはり今井神社はこの地区・赤間宿(あかまじゅく)の、西の鬼門を
スサノオさまをお祀りしているのだとか。
…でもなんか腑に落ちない…なぜならこの今井神社を調べてる途中、
どこかの今井神社の祭神が大山咋さま、と分かった途端、へびっちが、
と、言ってたから。
(真相は何も教えてくれないのに、唐突に真偽不明な答えを持ってくるストロングスタイル…!!
白蛇へびっちは気も身も長いへびの子です。)
でも今井神社=大山咋さまに全然つながらないよ~ビエ~ン!!(TДT)
…となってたのですが、
徹底的に調べたら出てきましたよ!!!
それは『正見行脚』というブログでした。書かれているのは、
宗像市内から宗像近郊のほぼすべての寺社仏閣を回りつくし研究を重ねている猛者!!
(そのうちどこかでお会いするんじゃと…と淡い期待(笑)素晴らしい探究心と行動力の方のブログです)
今までもお宮参りの時はこちらのブログをいろいろ参考にさせて頂いたんですが、
やはり今井神社の記事もありました!
お話によりますとなんとこの今井神社、
昭和23年ごろ赤間宿の『大黒屋』・松尾家の当時のご当主が、
ご厚意で提供されたお屋敷の一部・お庭だったそうです!
神社の元は、松尾家のお庭にあったお家の神さまでした!!
なぜあの大きな木が鳥居の前にいきなり生えてるのか?!というのも、
お庭に生えていた木をそのまま残したから、だそうです!!
スサノオさまを勧請したのは、戦後からなんですねぃ。
このお話をきちんと探してくる『正見行脚』の管理人さまの探求心に感服です…!!
(少し離れたとこにもう一つ今井神社がありました。本当はそっちが正真正銘の今井祇園社で、
地区の夏祭り・赤間祇園祭の都合、おみこしの中継地点にするためにこちらを新しい『今井神社』に
変えたのでは、と推測。街の中心の近くにあった方が都合がよかったんかな。)
さらにさらに、今井神社が西の鬼門封じのスサノオさまなら、東の鬼門封じの
赤間須賀神社のスサノオさまは何処から…といいますと、八所宮の少し手前に
なんと、七社神社という、『コレ絶対八所宮に名前寄せてきてるだろ…?』な
お宮がありまして(笑)、こちらの祭神の1柱・スサノオさまを勧請している、
とのこと。
なんですが、これがなんと、えびすさま=事代主さま、
なのです。
ムムムムム…?!!(@Д@)
東の鬼門封じ・スサノオさまは近くの七社神社から勧請していて、
もといらっしゃった祭神は、えびすさま=事代主さま。
西の鬼門封じのスサノオさまは昭和23年ごろに赤間須賀神社から勧請していて、
もといらっしゃった祭神は、『大黒屋』松尾家のお家を守る神さま。
この『大黒屋』さんは、もとは酒造業。お名前そのままですが、そもそも
松尾、というのは、日本の3大お酒の神さまの名前。酒造家の守り神は、おそらく
日本一有名な酒造の神さま、松尾大社の大山咋さまです。
ということは、今井神社にもともといらっしゃった祭神は、大山咋さま。
あああああ!!!!へびっちの言ってることが
当たってしまったー!!!(@Д@)
…でもせっせと調べて真相にいたって初めて『ウンウン☆』とうなずく子で、
なかなか厳しい家庭教師へびの子です。
じつは八所宮にいたる道中の赤間宿という地区は、唐津街道(からつかいどう)
という江戸時代の街道に沿った街です。
宗像市の町おこしの一環で、素敵な古い町並みが保存されています。
現在は『勝屋酒造』さん1軒だけとなりましたが、
江戸時代は14件軒もの酒造がありました。お醤油屋さんも多かったそう。
『海賊と呼ばれた男』(←読んでない)のモデル・出光佐三さんの生家もあります。
さらに先ほどの『大黒屋』さんのほか、出光家の『えびす屋』さんも酒造家でした。
さらにさらに、じつは八所宮の手前にも…
『伊豆酒造』さんという、宗像大社にお神酒を納めている、
立派な酒屋さんがあります。八所宮の1の鳥居を入ってすぐ側です。
ということは、『赤間庄(あかまのしょう)』と呼ばれたこのあたり一帯は、
お酒が造れるような綺麗なお水が豊富に流れていたから、
酒造家・醤油屋さんなどがたくさんあったということなのですかねぃ。
ここでちょっとお酒の神さまについて…
先ほども書きましたが、日本3大お酒の神さま!!神社がありまして、
それは奈良の大神神社、京都の梅宮神社、同じく京都の松尾大社です。
このうち奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)が、
日本で一番最初にお酒造りをした神さま、ということになっております。
あの酒屋さんの前に吊るしてある丸い、スーモみたいなのもの…
酒林(さかばやし)と呼ばれております。
始まりは大神神社のご神体・三輪山の杉の葉を使ったものだった、と言われています。
また、お神酒(みき)、といいますが、古代は『ミキ』ではなく『ミワ』と呼んだ、
とも。それくらいお酒と結びつきが強い神社です。
そして、祭神は大物主さまです。
通説では、大国主さまのもう一つの魂、だそうです。
(ちなみにこの大神神社がへびっちの実家の本社で、へびっちはこちらの神さまのお使いです。
神さまは人間由来ではなく、大蛇の神さまです。なので、ここでは大神神社のご祭神=元・人間の神さま、
ご神体の三輪山の神さま=大蛇の神さま、と区別しております。神さまの世界って複雑ですねぃ)
そして、現在の今井神社、前身は『大黒屋』松尾家のお庭にあったと推測される
お酒の神さま、こちらは松尾さまと呼ばれる神さま。
京都の松尾大社のご祭神です。
調べたところ、『松尾さま』という神さまは『2神同体』の神さまで、
大山咋さま+市杵島姫命さまなのだとか。
なので、松尾さまは女神さまという見方もあるんだそうです。
(酒造の蔵に女性が入ると神さまが嫉妬するとかいう、ちょっとなんだかな~な、小話も…)
なぜお酒の神さまとして親しまれるようになったかというと、
その名もまんまな大酒神社から自分たちの氏神
(大辟神=秦河勝という、聖徳太子の元で活躍した秦氏の祖)を勧請したからだそう。
じつはその秦氏の皆さんが、現在の米麹のお酒を造る技術をもたらしたのです。
それまで日本で作られていたのは、『口噛み酒』といって、ご飯を口でよく噛んで
唾液に含まれる酵素で糖化し、野生の酵母の力で発酵させたものでした。
(縄文の頃からお酒はあったようですが、これはこれで果実酒のような自然発酵のお酒ではと。)
大神神社発祥と言われるお酒も、口噛み酒と言われています。
そもそも松尾大社は松尾山で行われていた磐座祭祀を麓に降ろしたのが始まりです。
文武天皇の命令で麓に降ろしたのも秦氏の方。なので、松尾大社自体が、
しかし!!!!
もともとこの場所は、葛城氏(かつらぎし)と呼ばれる
氏族の土地でした…ジャジャーン!!また登場!!葛城氏の皆さん!!(笑)
どうやら葛城氏がヤマト朝廷にコテンパにつぶされた後、場所を引き継いだのが
秦氏と呼ばれる方々で、祭祀もそのまま引き継いだようです。
滅び去った葛城氏が奉じていたのは事代主さま(=えびすさま)
系列の神さま。私の推す仮説では、
市杵島姫命さまは事代主さまのお母さまです。
(※すみません!!↑は、私の資料にしている歴史仮説では、
市杵島姫命さまは、大山咋さまのお母さまでした!!!大変失礼しました…!!
2020年6月20日更新の訂正記事をご覧いただければ幸いです…!!)
現在の松尾大社の大山咋さまは、義理の兄弟。
お父様は、大国主さまです。
さらに平安京遷都後、東は『賀茂神社』、西は『松尾大社』というふうに、
鬼門封じ的にお宮が位置付けられております。
賀茂神社…滅び去った葛城一族と同じく、事代主さまをお祀りしている
鴨一族の神社です。賀茂神社のご祭神は、事代主さまのご親族。
…くしくも遠く離れた九州・宗像の小さな宿場町の鬼門封じが、京都と
そっくりそのまま同じ祭神に…(@Д@)
そして、最初に書いた奈良の大神神社の大物主さま、こちらは私が推す仮説では、
大山咋さま=大物主さま、です。
ということは、日本の有名なお酒の神さまは、どちらも大山咋さまかもしれず、
関連する神社には事代主さまや市杵島姫命さま、
彼らを信奉していた鴨・葛城氏の姿が…(@Д@)
そして九州の小さな宿場町・赤間には彼らを祀った痕跡…
ここでまとめとこう!!(笑)
⑤シリーズでいろいろ考察してきましたが、
シリーズ①では、八所宮のちょっと先の豊日社(とよひしゃ)をご紹介しました。
②では、八所宮のお宮の彫刻やご神紋、おみこしの飾りなどを調べて、
『八所宮のご祭神は由来不明の8柱の神さまではなく、
宗像大社と同じく、大国主さまと二人のお后さま(田心姫さまと市杵島姫命さま)
と、お子さまの大山咋さま、あと、誰か(笑)ではないか?』
という仮説を立てました。
③では、八所宮に隣接する小さな観音堂・長福寺が、八所宮の神さまの本地仏である、
という点から、『八所宮の本地仏っていうけど、対応してる神さまがいない!!
という変な発見をしてしまいました(笑)。
④では、赤間=赤い馬、とかいうダジャレみたいなネーミングに納得できず、
大昔の地図や古語の成り立ちを調べたら、
『『アカ・マ=水が沢山あるところ・湿地』だったのでは?
赤馬に乗った神さま登場ではなく、赤馬に乗った渡来人を地元の神さまを祀る人たちが
迎えたのでは???』という仮説に至りました。
ついに迎えた最終話⑤!!
ここでは赤間宿がじつは酒造家がいっぱいで、ナゾの神社かと思った小さな
西の鬼門封じの神社が、じつはお酒の神さま=松尾さま=大山咋さまで、
東の鬼門封じの神社が、じつはえびすさま=事代主さまだった!!
しかも京都の神社の配置と同じになってるんやけど…
という事実にあたりました。
ここまで積んどいてなんですが、
『じゃあ、実は宗像3女神は表向きのご祭神で、
宗像に最初に祀られていたのは、
大国主さまとそのご家族なんやね!!!?』
…と言えるような、決定的な何かが見つかったわけじゃありません…(TДT)
あくまで状況証拠や妄想で(←ヒ~)、仮説の域を出ません…
こないだ開始したばっかりの素人が古代史の山に埋もれているばかり…(TωT)
でも!!
私は宗像に大国主さまご家族の影を感じて
おります(笑)!!
出雲でも奈良でもなく、宗像に!!(笑)
なんでかは分かりませんが、自分の行くとこ行くとこに影を感じております。
なので、いろんな痕跡や歴史的事実を積んで行って、彼らがここにいたことある!
みたいな証拠を探してまいります(笑)!!
だからって何がどーとかは無いんですが、単純に探検が楽しいな~と思ってます(笑)
タイムマシンがないので、古代にまかれた道しるべのパンくずを
拾っていくようなものです。研究者の方々は本当にすごいですねぃ…
そうそう、事代主さまや市杵島姫命さまの痕跡はよく見かけるんですが、
なかなか大国主さまに繋がる痕跡がみあたらない…と、思ってたら、
超!!有名な国宝に見つけたかもしれない(笑)!!
画像をお借りしました。
福岡の糸島で見つかった、
『漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)』の、金印!!
笑ってはいけない!!私も自分で笑いそうだが、
西暦57年に後漢の光武帝が倭の奴国王に授けた金印と言われています。
このハンコ、上のつまむ部分の形が、授ける相手によって変わります。
皇帝や皇后は、伝説上の動物を。
皇太子や大将軍には、『亀』。
諸侯王や北方異民族は『ラクダ』。
南方の諸民族は、『ヘビ』。…へびっちがいるじゃないですか…
笑ってはいけない!!ここで読み止めるのもちょっと待って欲しい!!
後漢の人たちが日本を南方の島だと勘違いして、つまみを蛇にした、
とも言われてますが、
じつは中国・雲南省の古墳から見つかった同時代の金印が、
これとそっくりそのまま同じなのです。滇国(てんこく)の王さまに贈ったものです。
この雲南省の古代人は漢人によって追い立てられ、江南地方へ移動、さらに
朝鮮南部に移動、そして日本へ渡ってきたのでは…と言われています。
彼らが日本に稲をもたらしたのではないか?と。
日本と同じようなうるち米食・発酵食品の数々があり、
鳥居の原型のようなものがあり、精霊信仰の人々が暮らしています。
後漢のヒトは間違えたのではなく、日本に来た時、
『あ、南の方と同じ風習してるアルね。
滇国の人たちと同じ民族アルね。』
…と、思ったのかもしれない!!!アル!!!
そして響く、前に言われたへびっちの言葉…
『大国主さまは、
東南アジアから来た人だよ☆』
…大国主さまのトーテムは、ヘビ、なのです…(@ω@)
…えーと、でも、糸島の金印ですが、毎度『ニセモノ?!!ホンモノ?!!』
論争が湧いてる、いわくつきの国宝です(笑)
ホンモノだったら嬉しいけど、ニセモノだったら…でも、もしかして、
ホンモノはどこかにあって、それが出てしまうと歴史が変わるくらい大変な
秘密を抱えたものと一緒に納められてるのでは…と、妄想古代脳が…
そして、『アカ・マ』の語源がもしかして古代新羅語で、この言語は
南方の影響を受けていて、と、考えると…
福岡の沿岸地帯から、いや、九州の沿岸一帯、出雲地方、
彼らが船でたどりつく限界まで進出し、稲作や鉄器製造、口噛みのお酒作り、
発酵食品、鳥居、注連縄など、いろんなものを伝えてくれたのかもしれません。
でも彼らが先にたどりついた証は、表立ててはならないのかもしれないです。
とくに、彼らのリーダー、彼らの神となった人たちは、
穏便に国譲りをしたことになっているから…
…と、妄想古代脳は語る…いや、金印はニセモノかもだから…ねぇ…
さて!!
猛烈に長くなってるのですが、ここでもう一か所お参りした神社をご紹介!!
なんと、御来光を背負った神さまが写っています…!!!
お分かりいただけただろうか…
『よく来た…ヒトの子よ…』
『何にも望みは叶えないが、お参りしていきなさい…』
いや~~~可愛い神さまでした!!!
なんという可愛いお顔!!つるつるの毛並み!!これはさぞかし名のある大神!!!
…と、このように、お参りするとありがたい出会いが待っています。
ネコ様が遊ばれている自由なご神域なんですが、道真公の小さな天満宮なんですねぃ。
でも、おそらくここは天満宮ではなかったんじゃ…と、
思ってまいました。たぶん、古墳の上に立ってる気が…気が…(@ω@)
小高い丘みたいな立地で、大昔はすれすれに川岸だったんじゃないかな~と。
福岡は大宰府があるせいか、分からない祠とか後付けで天満宮にしちゃったり
神功皇后や応神天皇、神武天皇を被せてくる力業が多い気がする(笑)。
今回いろいろ調べてる途中、ずいぶん前に行った神社や場所が
唐突に関係してきたりで、
どんどんそのすべてが繋がっていることに気付いて、
いったいどこから書いていっていいのやら…と楽しいパニックになりました(笑)。
何のご縁でそうなってるかは分かりませんが、いや、分かるんだけども(笑)、
それは確認しようがない不思議の世界のお話なので、
もっと目の前に出てくるものを確実に調べてみます。
安易にスピリチュアルに頼ってはいけない!間違ったスピはヒトを力いっぱいダメにするぞ…!!!(笑)
これを読んでいただいてる方々とも、古代のどこかで袖触れ合うようなご縁が
あったかもしれないから、こんな長い文章でもお付き合いいただけるのかもです…♡
ありがたいことに沢山の真面目な古代の研究家たちが日夜努力して
私のような浅学のモノにも分かりやすく古代史をひも解いてくださっています。
そのありがたい資料を手元に手繰り寄せ、でもそれに溺れず、
出来る限り自分で足を運んで、目で見て頭で考え五感をフル回転させ
最後に第6感に頼り(笑)、へびっちと遊び時にヒントをもらいながら、
本当はそこになにがあってなにが私をそこまで呼んだのかを、探っていきます。
ということで、シリーズ⑤はここで完結です!!
ありがとうございました!!(^▽^)
ただ問題が…!!
遊びすぎて仕事が思いっきりおろそかになって大ごとになってまった…(TДT)
なので、これからしばらくはまた、ゆるゆる更新にもどります~~!!
すでにお参りした神社があと少し残ってるんで、これもゆっくりUPしますね~!
お参り探検は、秋になって涼しくなるまでおあずけ、と、へびっちと約束しました。
ああ~~(TДT)さ、さみしい~~(TДT)
でも、仕事がんばります~~!!
皆さまも、梅雨時期を元気に乗り越えてくださいませね~~!!
また次回お会いできたら幸いです~~♡♡(^▽^)