宗像・知る人ぞ知る神社に冒険!! ③~八所宮の藤の花の満開の先に、小さなお堂を発見!!の、巻~

 宗像の街境にある謎多き神社・『八所宮(はっしょぐう)』の探検、第2話です!!

初めての参拝の日、帰り際に可愛い小鳥ちゃんを見つけましたよ~♡(^ω^)

 

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手水で水浴び中でした。かわいいな~(*´ω`)

ヤマガラという種類です。神さまのとこでのびのび安心してすごしてますね。

『神社で動物ちゃんや虫さんに出会うと、良いことある』

ってどっかで聞いたよ…!フフフ…!!(@ω@)

 

 

初参拝から1か月近くたって、2回目の八所宮の参拝に向かいました!

道すがら見た青々としていた麦畑も、収穫の時期を終えていましたよ~。

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そしてやってまいりました、八所宮。一回自転車でここまで来ちゃうと、

割と距離も気にならなくなる不思議…(お家からはかなり遠いのですが…)

 

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この日も清々しく晴れておりました~!ありがたや~!(^ω^)

 

ちょうど藤の花が盛りでした。境内に誰もいなかったので

ありがたく鑑賞させていただきました。とってもきれいでウットリ(*´ω`)

(八所宮、あんまり人に知られてない気がする…宗像大社世界遺産で有名になったんですがねぃ…)

 

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白い藤・紫の藤、どっちもきれいですねぃ~。

 

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夢のよう~~(*´ω`)

 

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おぉ~~天から御光が~~~(*´ω`)

 

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へびっちと『夢のよう~~☆(*´ω`)』を繰り返しながら鑑賞してると、

藤棚の向かって左に、細い山道が続いてるのが見えました。

何かあるんかな~と近付くと、白ネコちゃんが、ひなたぼっこをしておりました。

キャワワ~~♡となって触りに行ったんですが、ざんねん!起き上がって、

どんどん細い山道を下っていきます。

素早いので写真も撮れず、そのまま白ネコちゃんの後をついていくと…

 

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なんと!小さなお堂が見えてきました…!!

 

ネコちゃんは見えなくなったので、こちらのお堂にお参りさせていただくことに。

 

『長福寺(ちょうふくじ) 観音堂という、

仏様の像をお祀りしたお堂です。

県指定文化財になっている十一面観音さまや、宗像市指定文化財の仏さまなど、

ありがたい仏さまを拝ませていただきます…

 

…と、いっても、毎月17日・18日にしか開帳されないと後で知りました。

普段はお堂の前でお参りするのみです。

でも清々しい、素敵なお堂です。新緑も映えますねぃ。

 

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こちらはもともと八所宮の境内にあった、神さま=仏さまな、神宮寺。

元のお寺の名前は『長宝寺』といったそうですが、いつのまにか『長福寺』に

変わっていたそうです(笑)。

 

なぜ神社にお寺が…?なのですが、日本に古墳時代中頃に仏教が伝来し、

『こりゃご利益もはっきりしてるし、良い感じなんじゃないですか?』みたいに

時の政権はどんどん広めていく政策をとることにします。

(広めていく前には蘇我氏(仏派)VS物部氏(日本の神派)の熾烈な争いアリ)

 

仏教というのは布教していく最中、

『本地(ほんじ)』という考えをとってまして、

それはその地域にもともといる土着の神さまを、

仏教の仏さま関係に組み込んでいくやり方なんだそーです。

 

とはいっても日本では土着の神さまが根強い。なにせ八百万いる(笑)。

天皇にも氏神・アマテラスがいるわけで、それなら、ということで、

‟本来は仏さまなんだけど、迷える人間のために

日本の神々の姿になってたんだよ~~ッ!”

…というよーなノリで我々日本人の民族の神々(いわゆる祖先ですねぃ)は、

『ナントカの仏さま』という別名を、ほとんど皆、持つことになります。

明治時代の神仏分離とは、まったく逆のことをやってるわけですね。

 

それがちょうど天武天皇の時代、飛鳥時代後半。

じつはこの天武天皇が、八所宮を1300年前に現在の地

(鶺鴒山(せきれいやま)の山頂。でも山というより、小高い森な気も…)に

遷座されています。神さまからそうするよう、おススメされたそーです。

元はふもとの御手洗池(みたらいいけ)のほとりに八所宮はあったそーな。

 

なんで奈良にいる天武天皇が宗像の八所宮をアレコレして下さるのかというと、

天武天皇の奥さん・尼子娘(あまこいらつめ)さんは、

宗像大社を祀る海人族・宗像氏の流れの方なのです。

(細かくは神職武家で分かれていたそうです)

アマコ、という名前も、『海人(アマ)の子』という意味だそう。

古代の宗像は地方都市というより、お隣の国・韓国との外交や交易で大変重要な

ポイントだったので、天皇にお嫁さんを出したり出来たんですねぃ。

 

…話は戻りまして、仏教の仏さまa.k.a日本の古代の神さま

のお話なんですが、やっぱりこちらの八所宮でも行われてました!

すなわち、今は山道の下の小さなお堂『長福寺』に祀られていますが、

こちらにお祀りされている十一面観音さまは、八所宮の神さまの、

仏教の仏さまとしてのお姿なのです。

それを本地仏(ほんじぶつ)』といいます。

 

そして十一面観音は、だいたい『宗像3女神』か、

市杵島姫命市杵島姫命)』を表します。

 

 

…あれ????

 

八所宮の神さまには当てはまる方、

どなたもいないんだけど…?!!(@Д@)

 

さらに、長福寺の十一面観音さまは、

宗像の隣町・鞍手(くらて)にある真言宗の『長谷寺(はせでら)』の観音さまと、

同じ作り方が見られるそう。同じ方が作ったんですかね?

どちらも平安時代初期に作られています。

 

真言宗長谷寺といえば、奈良県長谷寺鞍手の長谷寺もその流れです。

奈良の方は四季折々のお花で有名ですね。私も去年、奈良県桜井市

大神神社(おおみわじんじゃ)にお参りしたその足で、

長谷寺にお参りに行きました。山深くて、緑のきれいな素敵なお寺でした。

大神神社はへびっちの実家の、福岡にある上和白大神神社の本社ですよ~♡)

 

長谷寺『ハセ』の語源は、『豊初瀬(とよはつせ)』『初瀬(はつせ)』から

きているそうです。近くには初瀬川(はつせがわ)が流れてます。

もちろん、奈良の長谷寺にも大変立派な、

大きな大きな十一面観音さまがいらっしゃいます。

こちらが作られたのは宗像の観音さまより早く、奈良時代です。

もちろん、その頃はすでに本地仏の考えも根付いていたでしょうねぃ。

 

この奈良県長谷寺を氏寺(うじでら)にしていた、古代豪族の末裔がいます。

 

あまりに勢いがあってヤマト政権に煙たがられ、

あらゆる手でコテンパにぶっ潰されたという(ヒドイ)、

ナゾばっかりの一族、

鴨・葛城氏(かも・かつらぎし)です…!!!

 

ついに言うときがくるとは…(笑)!!(げろさま、ついに書いてしまったですよ~~(笑))

 

時の政権にぶっ潰されたとはいえ、名を変え目立たずしかし脈々と血を絶やさず、

ちゃんと氏寺も持ってて喜ばしいことです(*´ω`)

彼らの本拠地が長谷寺の近くだったそーです(笑)。1年たって知るとは…(;´д`)

 

この鴨・葛城氏の氏神は、

『葛城一言主神(かつらぎひとことぬしのかみ)』さま。

この神さまは、事代主さま=えびすさまと、

同一なんだそう。

 

事代主さまのお母さまは、市杵島姫命さま。

 

(※スミマセン~!!!↑は、私が参考にしている歴史仮説の私の覚え間違いです。

事代主さまのお母さまは、田心姫(=豊玉姫)さまが、参考の仮説です…!!

2020年6月20日の訂正記事をご覧いただければ幸いです~!!)

 

市杵島姫命さまの本地仏は、十一面観音さま。

 

む、ムムム…!!(@ω@)

 

こっからは妄想古代ミステリー…!!!

 

 

 

奈良の長谷寺を氏寺にしていた鴨・葛城氏は、

本尊の十一面観音さまを、

葛城一言主神(=事代主さま=えびすさま)のお母さま・

市杵島姫命さまの本地仏(神さま=仏さま)

として見ていたのでは…???!!

 

(上にも書きましたが、これは仮説の覚え間違いでした…(TДT)

市杵島姫命さまのお子さまは、松尾大社の大山咋さまです。松尾大社のある地域は、

元々は葛城族が居住していたところです。なので、

葛城族は事代主さまも大山咋さまも、大国主さまの流れとしてお祀りしていた、

という可能性があります。←2020年6月20日訂正の文章です。

のち、もっと考察して新しく記事を書きますね~!

 

 

市杵島姫命=十一面観音という流れは

そのまま宗像の八所宮でもあてはまって、

八所宮の長福寺にある十一面観音も

市杵島姫命本地仏なのでは…?!!

 

広島県の宮島も同じように本地仏が十一面観音です。宮島の女神さまはもちろん市杵島姫命

観音さまのいる大聖院は空海さまが開きました。それがちょうど平安時代初期!)

 

さらに言うと八所宮は、じつは市杵島姫命をはじめ、

そのご主人である大国主さま、

義理のお子様である事代主さまや松尾さま、

彼らのお嫁さん、

大国主さまのもう一人の奥さんの田心媛

(たごりひめ)さまもいらっしゃったのでは?

 

 

だから大所帯の『八所宮』、

なのでは…?!!!

 

 

…そして残るギモン。

いや、『八所』だから。一人足りてないよ…(笑)

足りない一人がもしかしてサルタヒコさまかもだし、

大歳神さまなのかも、とか思うんですが…ゴニョゴニョ…ゴニョゴニョ…

 

宗像で祭神のすげ替えがあってる気がする…!!というのは、『宗像大社』の記事から

書いております。良かったら見てみてね~♡

 

あくまで妄想の古代ミステリ~!!

なんですけどね(笑)

 

 

ただ、大国主さま関係の方々が宗像はじめ、

熊本~北部九州かけての土地にいられては、

ヤマト朝廷から続くその後の日本政府にとっても、

現在の歴史の観点から何かひじょ~~~に、

困ることがあるのでは…、と思っております。

 

だから『消せるとこは消しとけ!』みたいになってるのかな~?と。

 

本地仏の関係でもう一つ…

 

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こちらは、八所宮のほんのちょっと先にある猿田峠近くの、

ほのぼのとしたお地蔵さまたち。なんとも心和む風景です。

吉留高六薬師堂といいます。病気を治してくれるお薬師さんですねぃ…

 

 

薬師如来は、事代主さまの本地仏

とも言われてますよぅ…(笑)

 

では次回は、今までの記事をまとめつつ、

全然ピンとこないこの周辺の地名の由来:

赤間=赤馬(あかま=あかうま)』、

『吉留=吉きところに留め

(よしどめ=よきところにとどめ)』

を、真面目に探っていきたいと思います!ついに、

大国主さまも事代主さまも松尾さまも、

ちゃんとこの土地に関係しているのを発見か…?!!

です(笑)。

 

 

最後に…!!白ネコちゃんを追ってお堂を発見した山道で、

こんな素敵なお花を見つけましたよぅ…!

 

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銀竜草(ぎんりゅうそう)

というそうです。虫に種を運んでもらって、

土の中のキノコの菌糸に寄生して大きくなる不思議なお花。

名前も神秘的ですねぃ。

やっぱり、神社で出会う生き物は、幸福を運んできてくれます…!!(^ω^)

 

そいでは、また次回、読んでいただければ幸いです~~♡♡