ツチネコとへびっち、おとーちゃんのふるさとへ…!!①~ パワスポな神の窟と小さな村社と、良成親王のお墓をお参りの巻~

先日まで肌寒かったのに、いきなり蒸し暑さ到来の宗像!

ツチネコとへびっちもさっそく伸びております。

ヘビは暑さにとても弱いそうで、へびっちも夏場は辛そうです。

(へびっちはアオダイショウの白いのです。

今は体が無くなったけど、感覚はあんまし変わらないよう。

でも味覚はニンゲン寄りになってる気がする…!)

最近は冷たいジュースが美味しいと喜んでます。

 

さてさて、緊急事態宣言が出されてはや1か月たちますが、

宣言が出されるまさに直前、ツチネコ一家はおとーちゃんの故郷、

福岡県八女市の、旧・矢部村に行ってまいりました。

ちょうど桜が日向神ダムの周りに満開になっていたころ…

 

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こんなに桜がきれいでした。

そして矢部の個人的激推し名物といえば、コレ!!

 

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ヨモギモチ!!!°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

ヨモギ含有量世界最高峰レベル(←個人的感想)!!!圧倒的美味しさで迫ってくる、

銀河系最強・驚異のヨモギモチです!!!(←個人的感想)

あまりの美味しさにすぐ食べきってしまうので本当は10パック位必要ですが、

お財布事情もあるため、この度は2パックで引き下がりました。

もし矢部に遊びに行かれるという超!!奇特な方がいらっしゃいましたら、

ぜひともお求めになってくださいませ~~♡♡

 

ヨモギモチで我を忘れそうですが、こちら福岡県八女市・旧矢部村は、

私の父の故郷であります。父の生家は、日向神ダムの底に沈んでおります。

深山幽谷というにふさわしい山奥ぶりで、ちょっと宮崎の高千穂に似てます。

現在は八女市に合併されてしまいましたが、私にとっては『矢部』のほうが

しっくり来る感じです。川遊びやお墓参りの思い出とセットです。

ダム名が『日向神』(ひゅうがみ)ですが、日本の神話で、

ニニギノミコト(アマテラスの孫)が矢部の御前岳を経て地上に降り立った。

‟日向から神を迎えた”ということで、その地を‟日向神”と呼ぶようになった。』

だそーで、やっぱり宮崎県の高千穂と親和性のある土地です。

さらに、熊本の山鹿や大分にも近く、古代には何かしらあったんだろーなと

想像できますねぃ。

(山鹿は弥生時代は出雲よりも鉄が産出されていた説もあります。古代ロマン…!)

 

神社のことに興味を持つようになって初めて矢部の神社を調べたんですが、

こんなに山奥なのにものすごく神社の数が多くてびっくりします。

現在、『乙女のパワースポット♡♡』として有名になってしまってるのが、こちら、

『八女津媛神社(やめつひめじんじゃ)』です。

 

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矢部、ずっと行ってたのに我々はこの神社にまったく気付かず、でもいつの間にか

世間ではパワースポットとして認知されてたようで、

矢部と思えぬ『ザ!!パワースポット』な雰囲気にビックリ…(笑)

ここ十数年のパワスポブームにあやかって、村おこし的な感じになったよーです。

 

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この方が『八女津媛』さま(の、想像の銅像)。八女はこの方の名前からとったそう。

お宮のすぐ側に巨大なむき出しの岩盤があるのですが、そこで祭祀を行っていた

巫女さんです。女性祭祀の神託に基づいて政(まつりごと)を行うアレですね。

神社自体は1300年くらいたってるそーですが、実際ここを祭祀の場として、

どれくらい前から活用してたんですかねぃ。

 

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あ!ツチネコのおとーちゃんが写ってる!

岩盤から染み出す『媛しずく』という水滴で、不老不死を狙ってるな?!

 

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これぞパワースポット!!という感じなので、へびっちが『ピャ~ッ(@Д@)』

ってなるかなと思ったんですが、意外と何にも反応せずでした。うむ~。

 

 

さて、矢部には父の実家のお墓があります(宗像のお墓には分骨しております)。

お墓は、私が子供の頃はお山の中にあったのですが、しばらくしてから

今の納骨堂に納めてもらいました。

その納骨堂のすぐ近くに『老松天満宮という神社があります。

祭神は、かの有名な菅原道真

 

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丸いのとかキラキラとかやけに写ってますが、安心してください、

たぶんレンズのホコリの反射だと思います…たぶん(笑)。

 

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お宮は新しくなってて、とっても立派でした!なんとも好もしいお宮。

 

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なんとも好もしいフクロウちゃん。

ツチネコとへびっちの行く先に必ず現れるフクロウちゃんモチーフ。

フクロウちゃんは心のともしび…!(*´ω`)

 

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お宮のすぐ目の前には大きな大きなイチョウの木…!!縁結びしてくれるなんて、

なんて優しいイチョウの木…!!

 

ここで注釈なんですが、『老松天満宮のご祭神、こちらは道真公ですが、

ときどきまったく違う方がお祀りされてるところもあるそうです。

いろんな地域に天満宮』『老松神社』『老松宮』とありますが、

祭神は道真公の家臣の『島田忠興氏』だったり、

道真公の師の『島田忠臣氏』だったり、道真公の父母だったり、

菅原家の祖・天穂日命(←字が違うかも。溶鉄の神と言われてます)だったり。

一説によると、この溶鉄の神さまから道真公に鞍替えした神社もあるかもなんで、

よ~~~く見て、ご祭神をチェックするのも楽しいかもですよぅ~。

祭神が鞍替えされた理由とかを考えるのが古代ロマンの旅ですねぃ…!!(@ω@)

 

ちなみにこちらの天満宮は、鎌倉末期からの南北朝時代と呼ばれる混迷の時、

なんとこの矢部まで落ち延びて来た南朝の『良成親王を守護するために、

家臣がこちらに勧請した由緒のある神社です。

ただ、村のちょうどいい場所にあるところを見ると、

多分もとから何かしら神社的なモノがあったんだと思います。

 

そしてこの神社のすぐ隣にも小さいお宮があるので、お参りしました。

 

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三柱神社です。ご祭神は、大国主命事代主命素戔嗚尊

大国主さま、事代主さまは、ツチネコとへびっちにつながる神さまです。

スサノオさま(←元・人間)は、イワナガおばーちゃんの旦那さん。

人間は自分にご縁があるとこは、ちゃんと気になるようにできてるんやな~(笑)。

私は神話の神さま、というより、今につながる日本を作っていった古代のヒトたち、

という見方で接しております。

(過去記事にいっぱい書いてるので、気になったら見てみてね~~ぃ♡)

ただ、こちらのご神紋…

 

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『大』と書いてるからまさに大国主さま…と言いたいところですが、

本当は『大』は大国主さまを表している訳ではなく、

まったく別の神さまの加護にあることを表すご神紋、とも言われております…。

こちらの神社自体は勧請された比較的新しいものだと見受けられるんで、

すでに『亀甲に大』が一般では『大国主さまを表す!』で通るようになった

時代の産物かもですねぃ。ちなみに大国主さまの神社で有名な出雲大社

『花菱』紋で、まったく違うんですよねぃ。

いったい何がどうなってるのやら…ナゾがナゾを呼びます…!!(@Д@)

 

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でもこんな素敵な村のお宮は、ほんと好もしい。ご祭神がどうとか関係ないのだ。

雨宿りをさせてくれそうな、優しい村の神さまがきっといるのだ…!(*'▽')

 

 

さらに矢部の旅は進みます。

矢部でも『杣(そま)』と言われる大変奥まったところに、

先ほど記述した南北朝時代に矢部に落ち延びた皇族・南朝方の、

『良成親王(よしなりしんのう)(※ながなりと呼ぶことも)墓所

と呼ばれる場所があります。

地元のヒト(うちのおとーちゃんとか)は、『お側(おそば)』と呼んでおります。

『大杣(おおそま)』と呼ぶところを、『親王のお側(そば)』に仕える

人たちがいたから、そば、と呼んでるそうです。

ちなみに矢部土着民のおとーちゃんは良成親王のことを

『ごしぇいしぇいしょーぐん』と呼びます。

『後・征西将軍(ご・せいせいしょうぐん)』をネイティブにアレンジですね。

 

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石垣の上に…

 

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こんな感じにお墓が…

 

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宮内庁のお達しが…

 

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こちらでお水を使われていたそう。

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南北朝時代というのは、そもそも問題の発端になる天皇がきちんと自分の後継者を

指名しなかったことが原因だそーで…

ただこれも数少ない資料が『そう書いてるから』そういうことになってるのであって、

本当のところは誰にも解明されてないのかもですねぃ。

こちらの良成親王は、叔父の懐良親王後醍醐天皇の皇子)の後を継承し、

九州南軍を指揮したそうです(だから、後・征西将軍)。

後醍醐天皇が『正当に皇位を継承するのは絶対南朝だー!!!』と言ったから、

いよいよ南北抗争が激化したとかなんとか。)

南軍の良成親王は最初わりと善戦していたそうですが、最後は追い詰められて、

この秘境・矢部まで逃げてこられたそう。

すでに京都では『南北朝、やっぱりうまくいやっていこう。』とかなんとか

収まってしまっていて、最後まで戦争していたのは良成親王という悲しさ…

30代半ばという若さでお亡くなりになっております。

 

『力あるものこそ覇者!!!』という時代とはいえ、

『オレが一番偉い!!』『いやオレのがエライ!!』

っていう争い、人類の誕生からも何も変わりませんねぃ…😞

人より優れて威張ってたい欲求、次の新しい時代には持ち越しちゃいけませんねぃ。

あなたも私も皆りっぱに生きてる。それで充分!

…これくらい思えたら、その時は自分を褒めたい(笑)。

 

良成親王という人がどこまで本気で、どこまで巻き込まれ、

だったのかは分かりません。

ただただ、もし生まれ変わっていたら、うんと幸せになってて欲しいですねぃ。

神さまがきっと采配してくださるから、だいじょぶですね、きっと。

生まれ変わった親王が、何でもない日に家族でドライブしにきて、

矢部のおいしいヨモギモチをお土産にしててほしいなぁ。

 

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じつはこの良成親王のお墓を向かって右にどんどん進み、

お山を登っていくと、小さなお宮に到着します。

それが、江戸時代に村の人が四国から勧請し、ツチネコのおじーちゃんが再建した、

金刀比羅宮(ことひらぐう)』。

ものすご~~く、ひさびさにお参りにいきました!

ちなみに昔、ツチネコはここの神さまらしきおじいさんに遭遇しております…(笑)

そのお話ともうひとつ、

へびっちから示される新たな謎…!!!

 

大国主さまは、東南アジアの方から来たよ☆』

 

な、なんだってー?!!!(@Д@)

このナゾにつながる新たな説を、ツチネコはステイホームしながら発見か?!!!

次回、『ツチネコとへびっち、

おとーちゃんのふるさとへ…!!②』、

すばやく更新いたします!!

また妄想古代ミステリ~話になりそうですが、コロナ禍の退屈しのぎにでも、

笑ってご覧いただければ幸いです~~♡♡